ハリー・フーディーニ
Harry Houdini(本名 Erik Weisz)

「脱出王」。100年たっても名前だけで通じる、マジック史上最大の固有名詞。
- 生
- 1874-03-24
- 没
- 1926-10-31
- 国・拠点
- ハンガリー生まれ/アメリカで活躍
- 時代
- マジックの黄金時代
マジシャンの名前をひとつだけ挙げてくださいと言われて、多くの人が答えるのがこの名前だろう。死後100年たってなお、フーディーニは固有名詞として生き残っている。だがその生涯を追うと、脱出という一語では収まらない仕事の量が見えてくる。
参考映像(非公式)
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- 1908年の記録映像 チャンネル: SICT México
- 記録映像のまとめ チャンネル: David Folender
主な功績
- ブダペストに Erik Weisz として生まれ、幼くしてアメリカに移住した
- 手錠や拘束具からの脱出を看板演目とし、世界的な名声を得た
- 晩年は霊媒師の詐術を調査・告発する活動に力を注いだ
- 1926年10月31日に死去。命日のハロウィンは、今日もマジック界で記念される
ブダペストからアップルトンへ
彼は1874年3月24日、ブダペストに Erik Weisz として生まれた。1878年、4歳のときに一家でアメリカへ渡り、ウィスコンシン州アップルトンに落ち着く。
この土地が彼にとって特別だったことを示す逸話がある。フーディーニは生涯にわたり、自分はアップルトンで4月6日に生まれたと言い続けた。 移民としてではなくアメリカ人として自分を語ろうとしたのである。芸名を選ぶ前から、彼は自分の物語を自分で書く人だった。
その芸名は、フランスの大先輩ロベール゠ウーダンへの敬意から採られたと伝えられている。名前そのものが、彼が自分をどの系譜に置こうとしたかを示している。
兄弟の組から、妻との組へ
1893年、彼は兄弟のダッシュ(セオドア)と「ブラザーズ・フーディーニ」を名乗ってコニーアイランドで舞台に立っていた。ここで出会ったのが、同じく演者だったウィルヘルミナ・ベアトリス・ラーナー、通称ベスである。
翌1894年、二人は結婚する。そしてベスが兄に代わって相方となり、組の名は「ザ・フーディーニズ」となった。
この二人組の看板演目が「メタモルフォーシス」だった。錠のかかったトランクのなかで、二人が瞬時に入れ替わる。フーディーニの代表作としては脱出芸ばかりが語られるが、その原点は妻との二人芸にある。
1899年、専門化という決断
転機は1899年に訪れる。ミネソタ州セントポールで、興行主マーティン・ベックと出会ったのである。
ベックは彼の手錠の演目に注目し、脱出芸に専念するよう助言した。 そしてオーフィアム系の寄席興行に彼を売り込む。
これが決定的だった。何でもやる演者から、一点に絞った演者へ。翌1900年にはヨーロッパ巡業に出る(ロンドン到着時には手配されていたはずの出演契約が押さえられていなかったと伝えられる)。それでも彼はヨーロッパで名を上げ、帰国する頃には別格の存在になっていた。
「脱出」という発明
この演目形式には独特の強さがある。
観客はまず「本当に閉じ込められている」ことを確認する。次に、時間だけが過ぎる。何も起きない時間そのものが緊張になる。そして解放される。他の演目にはない、時間を材料にした構造がここにある。
1908年、彼は「ミルク缶」を発表した。宣伝文句は「失敗は溺死を意味する」である。1912年には「中国式水責め拷問箱」を発表し、これが最もよく知られた演目となった。逆さ吊りで拘束され、水を満たされた箱に入る。
彼は、観客が「これは無理かもしれない」と本気で思う地点まで設定を押し上げた。緊張は、演出ではなく設計から生まれていた。
映画という次の舞台
フーディーニの仕事は舞台だけではない。
1909年にはパリで短編映画を制作している。本格的な劇映画への進出は、1918年11月に公開が始まった15話構成の連続活劇『The Master Mystery』だった。新しい媒体が現れたとき、彼はすぐそこへ行った。テレビの時代が来る前に、映像で自分を残そうとした演者である。
晩年の仕事
晩年、フーディーニは霊媒師の詐術を調査し告発する活動に力を注いだ。
彼は、自分が説明できない現象を起こせる霊媒がいれば1万ドルを支払うと公言し、複数の調査委員会に加わった。そのひとつが雑誌『サイエンティフィック・アメリカン』の委員会である。
1924年に始まったミナ・クランドン(通称マージェリー)をめぐる論争は、彼の霊媒調査のなかで最も長く、最も注目を集めたものとなった。
不思議を作る職人だからこそ、不思議を装う嘘を見抜ける。マスケリンから始まったこの姿勢は、フーディーニを経て現代のペン&テラーにまで受け継がれている。
1926年10月31日
同年10月、モントリオール滞在中に楽屋で若い男から腹部を殴打される出来事があった。フーディーニ自身が、自らの頑健さを試すものとしてその打撃を承諾したと伝えられている。この打撃が虫垂炎を悪化させたとされる。
1926年10月31日、彼はデトロイトで、虫垂の破裂による腹膜炎のため世を去った。52歳だった。
命日がハロウィンにあたることもあり、この日は今日もマジック界で記念されている。名前が残るだけでなく、暦にまで残った演者である。
代表的な演目・著作
- 「メタモルフォーシス」— 妻ベスとの二人組の看板演目
- 「ミルク缶」(1908年)
- 「中国式水責め拷問箱」(1912年)
- 連続活劇映画『The Master Mystery』(1918年)ほか、無声映画への出演
年表
確認できた年のみを記載しています。
- 1874 3月24日、ブダペストに Erik Weisz として生まれる
- 1878 一家でアメリカへ移り、ウィスコンシン州アップルトンに住む
- 1893 兄弟の組「ブラザーズ・フーディーニ」として活動中、コニーアイランドでベス・ラーナーと出会う
- 1894 ベスと結婚。二人組「ザ・フーディーニズ」となり、「メタモルフォーシス」を看板演目とする
- 1899 興行主マーティン・ベックと出会い、脱出芸に専念するよう助言される
- 1900 ヨーロッパ巡業に出る
- 1908 「ミルク缶」の演目を発表
- 1912 「中国式水責め拷問箱」を発表
- 1918 11月、連続活劇映画『The Master Mystery』の公開が始まる
- 1924 霊媒ミナ・クランドン(通称マージェリー)をめぐる長い論争が始まる
- 1926 10月31日、デトロイトにて死去
親子で観るときの注目ポイント
- 脱出の演目では「時間」が主役です。長く感じるほど成功、という珍しい構造に注目を
- 演者が観客とどう約束を交わすかを見てください。何をやるかを先に宣言する潔さがあります
- お子さんには「できないかもしれない、と思わせるのも技のうち」だと伝えると、緊張感の意味が伝わります
- ひとつのことを突き詰めた人の強さを感じてみてください。狭く深くという生き方があります
このサイトでは種明かしをしません
マジックのタネや仕掛けの解説は一切掲載していません。知らないまま驚けることこそが、この芸のいちばんの価値だと考えているからです。
公式リンク
出典
このページの生没年と実績は、以下の資料で確認しています。
- Harry Houdini (1874–1926) | American Experience PBS(米国公共放送)
- Timeline of Houdini's Life | American Experience PBS(米国公共放送)
- Harry Houdini Wikipedia(英語版)
- Harry Houdini and his unbreakable chain to Appleton Wisconsin Life(ウィスコンシン公共放送)