🇬🇧 1839–1917

ジョン・ネヴィル・マスケリン

John Nevil Maskelyne

ジョン・ネヴィル・マスケリンの肖像(カルト・ド・ヴィジット)
ジョン・ネヴィル・マスケリンの肖像(カルト・ド・ヴィジット)撮影者不詳(ウッドベリータイプ印画) / Public domain / 出典

ロンドンに奇術の常設劇場を築き、英国マジックの礎をつくった興行家。

生
1839-12-22
没
1917-05-18
国・拠点
イギリス
時代
近代奇術の黎明
ジャンル
ステージマジック ・イリュージョン

マジックを「たまに来る巡業の出し物」から「いつでも観に行ける常設の演目」に変えた人がいる。ロンドンのマスケリンである。彼が用意したのは一つの演目ではなく、驚きを毎晩供給し続ける仕組みそのものだった。そして彼は、その仕組みを使って嘘と戦った人でもあった。

主な功績

  1. ロンドンのエジプシャン・ホールを拠点に、長期にわたる奇術の常設興行を成立させた
  2. 心霊術者の主張を舞台上で検証・批判し、奇術師が超自然の主張に対峙する伝統をつくった
  3. マスケリン家は三代にわたって英国マジック界を主導した

家具職人と組んだ二人組

マスケリンは1839年、イングランド・グロスターシャー州のチェルトナムに生まれた。

彼の経歴の出発点は、奇術の上演ではなく告発だった。1865年6月、彼は地元チェルトナムで、当時人気を集めていた心霊術者ダヴェンポート兄弟の手口を舞台上で公開してみせる。霊が現れて起きているとされていた現象が、そうではないことを実演で示したのである。

この一件をきっかけに、彼は家具職人のジョージ・アルフレッド・クックと組み、職業奇術師の道に入った。奇術師としての彼のキャリアは、最初から「暴く側」として始まっている。

エジプシャン・ホールの31年

1873年、二人はピカデリーのセント・ジェームズ・ホールでの短い興行を経て、同じピカデリーにあるエジプシャン・ホールの小ホールを借り受ける。まもなく大ホールへ移り、1904年に建物が取り壊されるまで、そこに居続けた。

31年である。

これは芸そのものの発明ではなく、興行の発明だった。19世紀のマジシャンは基本的に巡業の人で、町から町へ移動しては数日興行して次へ向かうのが常だった。腰を据えた場所を持つということは、演目を練り直し、改良し、積み上げていく余裕が生まれるということである。場所があるということは、芸が育つということでもある。

1904年に建物を失ったあとは、拠点をセント・ジョージズ・ホールへ移した。

サイコという自動人形

エジプシャン・ホールでの演目のうち、もっとも長く客を呼んだのが「サイコ」である。

サイコは1875年1月に初めて公開された自動人形で、ジョン・アルジャーノン・クラークの協力を得て制作された。あぐらをかいて木箱の上に座った小柄な人物の姿をしており、手元には13枚のトランプを立てる仕掛けが備えられていた。この人形は、カード遊びのホイストを演じてみせた。

サイコはエジプシャン・ホールで4,000回を超える上演を重ねている。機械が人間のように振る舞うという主題は、19世紀の観客を強く惹きつけた。今日のロボットや人工知能に対する好奇心と、根の部分でつながっている演目だと言える。

舞台から異議を唱えるという伝統

同じ頃、ヨーロッパとアメリカでは心霊術が流行していた。霊媒師が死者と交信すると称し、暗い部屋で不思議な現象を起こしてみせる。多額の金銭が動き、信じた人々が傷ついた。

マスケリンはこれに舞台から異議を唱え続けた。ダヴェンポート兄弟の一件は、その最初の事例に過ぎない。

ここには構造的な理由がある。不思議を作る職人だからこそ、不思議を装う嘘に敏感でいられるのである。マジシャンは、人がどういう条件下で何を見誤るかを職業的に知っている。だから、それを悪用する者を見抜ける立場にいる。

この構図はマスケリンに始まり、フーディーニが晩年に引き継ぎ、現代のペン&テラーにまで受け継がれている。150年以上にわたって、マジシャンはこの役割を担い続けてきた。

舞台の外の発明

マスケリンは舞台装置以外にも発明を残している。

ひとつは、息子ジョン・ネヴィル・マスケリン・ジュニアとの共同開発によるタイプライターである。インクをパッドで供給し、文字幅に応じた間隔で印字する方式で、1893年頃に市場に出たとされる。

もうひとつが、公衆トイレの扉に取り付ける錠前だった。1ペニー硬貨を入れると開く仕組みで、英語で「用を足す」を意味する言い回し「spend a penny(1ペニー使う)」の由来になったと言われている。

舞台の仕掛けを考えることと、日用品の仕組みを考えることは、彼のなかで地続きだったのだろう。

三代続いた家系

マスケリン家は三代にわたって英国のマジック界に関わった。息子のネヴィル・マスケリンが後を継ぎ、その息子がジャスパー・マスケリンである。

ひとりの演者の才能ではなく、一族と劇場という形で芸が継承された。マスケリンが本当に残したのは、演目でも自動人形でもなく、マジックが続いていくための器だったのかもしれない。

彼は1917年、ロンドンのメリルボーンで没した。

代表的な演目・著作

  • 「サイコ」— カード遊びのホイストを演じる自動人形。エジプシャン・ホールで4,000回以上上演された
  • エジプシャン・ホールでの常設興行(1873年〜1904年)
  • 有料トイレの錠前 — 1ペニー硬貨で開く仕組み。英語の言い回し「spend a penny」の由来とされる

年表

確認できた年のみを記載しています。

  1. 1839 イングランド・グロスターシャー州チェルトナムに生まれる
  2. 1865 6月、チェルトナムで心霊術者ダヴェンポート兄弟の手口を舞台上で公開。これを機に家具職人ジョージ・アルフレッド・クックと組んで奇術師の道に入る
  3. 1873 ピカデリーのセント・ジェームズ・ホールでの興行を経て、エジプシャン・ホールを借り受ける
  4. 1875 1月、自動人形「サイコ」をエジプシャン・ホールで初公開
  5. 1893 息子との共同開発によるタイプライターが市場に出る
  6. 1904 エジプシャン・ホールの取り壊しに伴い、拠点をセント・ジョージズ・ホールへ移す
  7. 1917 ロンドン・メリルボーンにて死去

親子で観るときの注目ポイント

  • 一夜かぎりでなく「毎晩やる」ことの難しさを想像してみてください。同じ驚きを何千回も新鮮に届ける技術がそこにあります
  • 舞台の上で何かを「証明してみせる」姿勢に注目を。マスケリンはそれを娯楽として成立させました
  • 親子で話すなら「本当のふしぎと、上手なウソの違いってなんだろう」というテーマが合います
  • 機械が人間のふりをする演目は19世紀から人気でした。いまのロボットへの興味と地続きだと考えると面白く観られます

このサイトでは種明かしをしません

マジックのタネや仕掛けの解説は一切掲載していません。知らないまま驚けることこそが、この芸のいちばんの価値だと考えているからです。

公式リンク

  1. ブリタニカ百科事典(英語)

出典

このページの生没年と実績は、以下の資料で確認しています。

  1. John Nevil Maskelyne | Illusionist, Mentalist & Escapologist Encyclopædia Britannica
  2. John Nevil Maskelyne Wikipedia(英語版)
  3. Psycho (automaton) Wikipedia(英語版)
  4. John Nevil Maskelyne Grace's Guide to British Industrial History
  5. Maskelyne and Cooke — Egyptian Hall, London 1873–1904(全文) Internet Archive
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