ハリー・ケラー
Harry Kellar

アメリカ奇術界の長老。芸を「継承」する文化をつくった人。
- 生
- 1849-07-11
- 没
- 1922-03-10
- 国・拠点
- アメリカ
- 時代
- 近代奇術の黎明
芸というものは、放っておけば演者一代で消える。ケラーがマジックの世界に残したのは演目そのものより、それを次の世代へ手渡す作法だった。彼の引退興行の夜に起きたことが、以後のアメリカのマジック界の形を決めている。
主な功績
- ペンシルベニア州エリー生まれ。世界各地を巡業し、アメリカを代表する舞台奇術師となった
- 引退にあたり、後継者としてハワード・サーストンを公に指名した。この「襲名」の儀式は以後の伝統となった
- アメリカ公共放送 PBS が伝記番組で取り上げるなど、今日も研究対象となっている
移民の子として
ケラーは1849年、ペンシルベニア州エリーに生まれた。本名はハインリヒ・ケラーといい、両親はドイツからの移民である。
彼が奇術の道に入るきっかけは、巡業してきた奇術師「アヴァの行者(The Fakir of Ava)」の舞台を観たことだった。この演者の本名はアイザイア・ヒューズという。少年ケラーは一目で心を奪われ、ヒューズの助手になる。ここから彼の巡業奇術師としての人生が始まった。
有名な演者の舞台を観た少年が、その人に弟子入りして次の世代の担い手になる。この連鎖は、ケラー自身が後にサーストンに対して行うことの、いわば予行演習だったとも言える。
ダヴェンポート兄弟という下積み
1869年、ケラーは「ダヴェンポート兄弟とフェイ」という一座に加わる。アイラ・エラスタス・ダヴェンポート、ウィリアム・ヘンリー・ダヴェンポート、そしてウィリアム・フェイによる、心霊術を掲げる集団だった。
ここに、19世紀のマジック史の入り組んだところがある。同じダヴェンポート兄弟に対して、イギリスのジョン・ネヴィル・マスケリンは1865年に舞台上で手口を公開し、告発する側に回った。一方アメリカのケラーは、その4年後に一座の一員として働いている。同じ対象が、片方には敵となり、もう片方には修業の場となったのである。
1875年、一行は船の難破に遭う。この出来事のあと、フェイはケラーのもとを離れてダヴェンポート兄弟に戻った。ケラーは独立した演者として立つことになる。
フィラデルフィアの劇場
ケラーは世界各地を巡業し、アメリカを代表する舞台奇術師となっていく。
1891年、彼はフィラデルフィアに自身の「エジプシャン・ホール」劇場を開き、7か月におよぶ長期興行を成功させた。名称はロンドンのエジプシャン・ホールに由来する。マスケリンが常設興行で示した方法を、大西洋の反対側で実践してみせた形である。
代表的な演目が「カルナック姫の浮揚」だった。彼はこの演目を長い年月をかけて練り上げたと伝えられている。ひとつの演目を何年もかけて仕上げるという仕事の質は、巡業の慌ただしさとは別の次元にある。
1908年5月16日
ケラーが特別なのは、引退の仕方である。
1908年5月16日、彼はボルチモアのフォード劇場での公演を最後に舞台を退いた。そしてこの引退にあたって、後継者としてハワード・サーストンを公に指名したのである。ショーと、その看板と、それに伴う地位を、次の演者に正式に手渡した。
この「襲名」の儀式は、以後アメリカのマジック界で一つの伝統になった。芸が個人の持ち物ではなく、受け継がれていく財産であるという考え方が、ここで具体的な形をとったのである。
サーストンはこの期待に応え、以後20年以上にわたってアメリカ最大の巡業ショーを回し続けることになる。
「アメリカ奇術界の長老」
引退後、ケラーは「アメリカ奇術界の長老(Dean of American Magicians)」と呼ばれるようになった。同時代にはハーマンがいて、次の世代にはフーディーニとサーストンがいた。ケラーはその橋渡しの位置にいる。
彼は1922年、ロサンゼルスで没した。
ケラーについては、アメリカの公共放送 PBS が伝記番組で取り上げるなど、今日でも資料が整理され研究が続いている。100年前の演者の記録が残されているということ自体が、彼の位置づけの高さを示している。
代表的な演目・著作
- 「カルナック姫の浮揚」— 長い年月をかけて練り上げた代表的な演目
- フィラデルフィアのエジプシャン・ホールでの長期興行(1891年)
年表
確認できた年のみを記載しています。
- 1849 ペンシルベニア州エリーに、ドイツ系移民の子ハインリヒ・ケラーとして生まれる
- 1869 心霊術一座「ダヴェンポート兄弟とフェイ」に加わる
- 1891 フィラデルフィアに自身の「エジプシャン・ホール」劇場を開き、7か月の長期興行を成功させる
- 1908 5月16日、ボルチモアのフォード劇場での公演を最後に引退し、ハワード・サーストンに看板を譲る
- 1922 ロサンゼルスにて死去
親子で観るときの注目ポイント
- いま目の前で行われている演目にも「誰かから受け継いだもの」があるかもしれない、と考えてみてください
- ベテランの演者を観るとき、その所作の落ち着きに注目を。時間をかけて磨かれたものの質感があります
- 親子で観るなら「上手な人はどこが違う?」を一緒に探すと、見る目が育ちます
- ひとつの演目を何年もかけて仕上げることがあります。完成までの時間の長さを想像してみてください
このサイトでは種明かしをしません
マジックのタネや仕掛けの解説は一切掲載していません。知らないまま驚けることこそが、この芸のいちばんの価値だと考えているからです。
公式リンク
出典
このページの生没年と実績は、以下の資料で確認しています。
- Harry Kellar (1849–1922) | American Experience PBS(米国公共放送)
- Harry Kellar Wikipedia(英語版)
- Harry Kellar | Illusionist, Escapes, Stage Magician Encyclopædia Britannica
- Harry Kellar — "Dean of American Magicians" Hagen History Center(エリー郡歴史協会)