フェタック・サンダース
Fetaque Sanders
人種隔離下のアメリカ南部を25年巡業した、当時最も成功した黒人マジシャン。
- 生
- 1915-05-12
- 没
- 1992
- 国・拠点
- アメリカ
- 時代
- 技芸の洗練
25年間、アメリカ南部を巡業し続けた演者がいる。行く先々でマジックを初めて観る人々に届けた。そして彼は、その25年のあいだ、泊まれる宿を探すのに苦労し続けた。
主な功績
- 1915年5月12日、テネシー州ナッシュビルに生まれる
- ジム・クロウ法下のアメリカにおいて、最も成功した黒人奇術師とされる
- 25年にわたってアメリカ南部を巡業し、それまでマジックを観る機会のなかった観客に届けた
- 第二次世界大戦中はUSOとともに巡業し、当時人種隔離されていた米軍のアフリカ系兵士のために演じた
- 巡業中は黒人客を泊める宿を見つけられないことがあり、その困難は生涯にわたって彼に影を落とした
ナッシュビルから
彼は1915年5月12日、テネシー州ナッシュビルに生まれた。
そして彼は、ジム・クロウ法下のアメリカにおいて最も成功した黒人奇術師とされている。
25年
サンダースは25年にわたってアメリカ南部を巡業した。
この数字が意味することを考えたい。南部には、黒人が入れる劇場が限られていた。学校も分離されていた。彼が回ったのは、多くの場合、それまでマジックを観る機会のなかった人々のいる場所である。
初めてマジックを観る人の前で演じる。これは実のところ、非常に難しい仕事である。観客に前提がない。何が起きているのか、どこが凄いのか、どう反応すればいいのかが共有されていない。演者がすべてを一から作らなければならない。
それを25年続けた。
戦時中のUSO巡業
第二次世界大戦中、彼はUSO(米軍慰問協会)とともに巡業した。
演じた相手は、当時人種隔離されていた米軍のアフリカ系兵士である。同じ軍に属しながら別々の部隊に置かれていた兵士たちのために、彼は舞台に立った。
戦地に近い場所で、故郷から遠く離れた若者たちの前で、マジックを演じる。慰問という仕事の意味が、この条件下では一段と重くなる。
泊まる場所がない
そして、記録しておくべき事実がある。
巡業中、彼は黒人客を泊める宿を見つけられないことがあった。
舞台の上で拍手を受けた演者が、その夜に泊まる場所を探して困る。この落差が、彼の25年のあいだ続いた。資料によれば、その困難は生涯にわたって彼に影を落としたという。
マジシャンの仕事を語るとき、私たちは舞台の上のことばかりを見る。だが巡業する演者にとって、移動と宿泊は仕事そのものである。サンダースにとって、その部分が最も過酷だった。
名鑑に入れる理由
彼の名は、マジック史の主流ではほとんど語られてこなかった。ブラック・ハーマンも同様である。
だが彼らがいなければ、アメリカの黒人社会にマジックが届いた経路そのものが存在しない。 劇場に入れない人々のところへ、誰かが行かなければならなかった。行ったのは彼らである。
サンダースは1992年に世を去った。当名鑑では、確認できた事実のみを記載している。
代表的な演目・著作
- 南部での25年におよぶ巡業
- 第二次世界大戦中のUSO巡業
年表
確認できた年のみを記載しています。
- 1915 5月12日、テネシー州ナッシュビルに生まれる
- 1992 死去
親子で観るときの注目ポイント
- 巡業する演者にとって、移動と宿泊は仕事の一部です。舞台の外の時間を想像してみてください
- 「初めてマジックを観る人」の前で演じることの意味を考えてみてください
- お子さんには「マジックを一度も見たことがない人に、初めて見せてあげた人だよ」と伝えられます
このサイトでは種明かしをしません
マジックのタネや仕掛けの解説は一切掲載していません。知らないまま驚けることこそが、この芸のいちばんの価値だと考えているからです。
公式リンク
出典
このページの生没年と実績は、以下の資料で確認しています。
- Fetaque Sanders Magicpedia(Genii Magazine)
- The story of Nashville's Black magician, who played for segregated schools, troops NewsChannel 5 Nashville
- Fetaque Sanders: A Remembrance SPS Magic